宇宙政策シンクタンク「宙の会」は、宇宙政策について調査、議論し、提言することを目的にしています。多くの欧米のシンクタンクに見られるように、下請的調査ではなくて、中立、公平な立場での政策提言をめざします。そのスローガンは「静かな抑止力」。宇宙活動を世界標準並みに、科学技術力、将来産業力、環境・災害監視力、国際協力と外交力、という国の総合的ソフトパワーに活用すべきとの考えです。

宇宙開発と原子力(4)

原子力潜水艦ノーチラス号と商用原子力発電炉

五代富文

(1)原子力の夢と潜在的危険

 

 原子力は、核爆弾に使う以外に、エネルギー源として多くの用途があると最初から考えられていました。放射能が人体に影響することは分かっていても、ごく少量の原料(核燃料)から得られるエネルギーがあまりにも大きく、動力源として魅力的にみえたからです。舶用エンジン、発電所、航空機・ロケットエンジンはもとより自動車エンジン、家庭用にも使うという夢さえも語られました。

当初は核エネルギーの利点を過大評価し、放射能被曝は軽視されていたのです。放射線治療、農産物保存など利点に目が奪われて、地球環境を長年にわたって損ない、人類・生物の存在にまで悪影響を与えつづける可能性など真剣に考えられていなかったのです。

これらのうち、原子力潜水艦、原子力空母など核動力軍艦と、原子力発電だけが生き残っていて、ほかへのエネルギー応用の夢はすっかり潰れているのが現状なのはご存じのとおりです。

 それにしても、世界大戦が終わった時点で、すでに、米国の知識人、産業人の中には、社会が夢のような手段を持ったと信じた人がかなりいたと言われています。そして、その影響は世界へひろがっていったのです。

 しかし元来は、民事というか平和利用を目標に核エネルギーを最初から考えたわけではありません。国も企業も莫大な資金を投じてきた技術を、活用して新産業を興すには何がいいかと、軍事利用から一般社会への応用を探っていたのです。

 

 原爆被害を受けた唯一の国である日本でも、核に対する積極的な反応として、アイソトープ治療、未来へのシンボルとしての原子力発電など、ポジティブな面が強調されました。しかし同時に、ビキニ被曝から始まった核爆弾に対する反対運動、原子力潜水艦や原子力空母が入港した時の放射能漏れについての反対運動、原子力発電所の立地誘致や放射能漏れなど、放射能への恐れと政治問題が絡みあう複雑な社会現象になりました。

賛否が渦巻いていた原子力発電は、一部の政治家による立法化・予算化の推進と、一部マスメディアの強力なプロパガンダではじまり、核技術の平和利用という原子力発電は、政・官・学・産・メディア連合の大合唱によって国策として進んでいきました。このあたりの事情については、福島第一原子力発電所事故の後、原子力学会・一部のメディアから核技術再検討など反省も表明されつつあります。この国内事情については、最近多くの議論がされており、このシリーズでも別稿で紹介します。

 

 いずれにしても、船舶の動力源、とくに潜水艦推進機関は、核エネルギーの利用にもっとも有効なものとされ、真っ先に実用化が進みました。そして、すでに述べたように、原子力潜水艦の炉技術が原子力発電へ進んでいったのです。

 

 米国には、電気、機械とくに原子炉開発の巨大企業でとしては、ウェスティングハウス社(WH)とジェネラル・エレクトリック社(GE)があって、今ではWH社は日本の東芝に吸収されたことは前号「宇宙開発と原子力(3)」で述べました。

19世紀末にジョージ・ウェスティングハウス(George Westinghouse, Jr (1846 〜1916)がWH社を創業し、同時代のトーマス・エジソン(Thomas Edison、1847〜 1931)の興したGE社よりもはるかに先進技術を開発し事業的にも成功していた会社でした。創始者ジョージ・ウェスティングハウスは交流発送電で、直流分野のトーマス・エジソンに勝利したのは20世紀初頭のことで、以後、両者はライバル企業として多くの分野で争ってきました。

    

 図1 ジョージ・ウェスティングハウス   トーマス・エジソン

 世界のほとんどの原子炉は軽水炉で、それもWH社が源流となった加圧水型PWR、少し遅れてGE社による沸騰水型BWRが製造されました。沸騰水型BWRについては、次号ペーパーで記します。

 

(2)ノーチラス号搭載の加圧水型軽水炉

 加圧水型軽水原子炉(PWR)が原子力潜水艦、原子力空母に標準的に使われています。その最初の炉は原子力潜水艦第1号である米国ノーチラス号のために開発されたものです。この方式は、冷却水に高い圧力をかけて水の沸騰を抑え、高い温度の水(高温高圧水)の状態で運転される原子炉です。

PWRは原子力船と原子力発電所で現在も使われつづけています。

 

図2にはノーチラス号の概略を示しています。

前号「宇宙開発と原子力(3)」に記したように、ノーチラス号の諸元は、全長 97.5m、全幅8.5m、排水量3520t(満載)、速度23ノット(43km/h)、潜入深度200m, 乗員92名、熱出力6万KW、軸出力は1.5万馬力です。

 世界初の原子力潜水艦ノーチラス号のために1950年から開発した加圧水型軽水炉PWR〔開発名称:STR〕の詳細は公表されていないので、野木恵一著:原子力潜水艦を開発せよ を参考にその概要を記します。

 

図2  ノーチラス号の概略

 

 

 原子炉で発生する高温高圧水を熱交換器/蒸気発生器に送り、そこで蒸気を発生させてタービンに送り発電を行います。一般に、高温高圧水は圧力150気圧、温度320℃程度〔一次冷却水という〕、これと熱交換して発生する水蒸気は、約55気圧、温度約270度の飽和蒸気(2次冷却水という)で蒸気タービンを駆動します。飽和蒸気の2次冷却水はタービンを回した後、復水器で冷やされて水になり、蒸気発生器に戻り、この循環をつづけます。

開発企業はウエスティングハウス。地上開発モデルのSTRマーク1と、ノーチラス号搭載のSTRマーク2はほとんど同じとされています。構成は図3に示すように、加圧水型商用原子力発電炉と基本的に同じです。

 

 

 

図3 原子力潜水艦の原子炉と推進機関

 

構成を見ると、加圧水型原子炉本体〔図の右部〕、タービン〔中央〕に、減速ギアとクラッチ、スクリュー〔左〕がつながっています。現在地上原発で使われていると原理的には異なっていません。なお、冷却水は潜水艦周りの海水を使います。

 

 図4は原子炉の概略図です。軍艦搭載原子炉の直径は約9mで、以後全てのWH社製の軍艦用原子炉はこのサイズに合わせています。改良されて型式が変わってもサイズは変わらず、原子力潜水艦には1基使われています。なお、大型原子炉A、Cシリーズは1960年代から原子力空母(エンタープライズ、ニミッツ)、巡洋艦に使われているようです。

このように、原子力潜水艦炉としてはWH社製がほぼ独占してきました。しかし、1950年代初めのノーチラス号からほぼ30年ぶりの1970年代末に、巨大米軍需企業GE社の開発した加圧水型動力炉Sシリーズが、米海軍の原子力空母、原子力潜水艦、ミサイル駆逐艦などに搭載され、今に至っています。いずれの場合も、軍艦搭載原子炉は加圧水型PWRで、圧力容器の直径は9mぐらいでそれを大きく超えてはいないようです。

 

 

図4   原子炉の圧力容器

 

 

 ノーチラス号の加圧水型軽水炉PWR(STR)の燃料、濃縮ウランは酸化ウランに加工され、ジルコニウム製の細長いパイプに充填、その燃料棒は何十本と束ねられています。

濃縮ウランの濃縮度については軍用〔原子力潜水艦動力炉〕と商用(原子力発電炉)では大きく異なり、原子力発電の3〜5%よりもはるかに高く米国軍用炉では93%にも達するのが特徴です。なお、低濃縮と高濃縮ウランの境界は濃縮度20%で、それよりより高いか低いかで分けられています。

 

 原子力潜水艦にとってもっとも重要なことは、コンパクトで出力の大きいことです。そのためにリッコーバーとWH社は実験を重ね、天然ウランの代わりに濃縮ウランを用いることと、最高97%の濃縮度まで試験して最適値の93%に決めています。

高濃縮ウランを燃料として使う原子力潜水艦などでは、開発、建設、運用に莫大な費用がかかり、廃炉処理の問題、メルトダウンや放射能漏れの危険性など、高濃縮ウランにともなう多くの問題があります。米海軍では濃縮度を数十%に下げて燃料の寿命を延ばすことによって燃料交換費用をなくしているともいわれています。

米海軍では1995年に、高濃縮ウランに代えて低濃縮ウランを使った場合の検討もしています。軍の方針に反する検討を行った理由はよく分かりませんが、たぶん議会から軍事費削減で宿題が出されての回答だと思います。海軍の答えはもちろんノーですが、その検討結果は濃縮ウランの性格を示しています。

 回答として、潜水艦のような閉鎖環境で作動し、戦闘時の衝撃に耐えるような低濃縮ウラン燃料の開発は可能だが、長い開発期間と費用がかかると報告しています。出来たとしても、低濃縮燃料では交換が頻繁になり安全上も経済的にも利点はない、高濃縮燃料に相当する量の低濃縮燃料用に再設計するだけでもコストが莫大で、何の意味もないというのです。燃料補給、炉点検を絶えずする地上の原子力発電所並にするという考えは、軍艦としてはありえないことで、最良の解は原子炉の寿命と船体の寿命を同じにすることで、大規模交作業となる原子炉交換が必要なくなります。

 

 原子力潜水艦の保有国は米国だけではありません。ロイド船級協会の集計によれば、世界中では1950年代から700基の船舶用原子炉〔原子力潜水艦が大多数だが、原子力空母など軍艦だけでなく砕氷艦をふくむ〕が使われ、現在の稼働数は200基とされています。原子炉1基搭載の原子力潜水艦が大半ですが、8基もの炉を載せている原子力空母もあります。炉出力に軍艦用と原子力発電所とで差はありますが、海洋上原子炉の数は陸上で運転中の商用原子力発電所数435の半分にも達しています。原子炉を積んだまま事故で海に沈んだ船もあれば、現役を退き廃炉になった船もあります。旧ソ連の原子力潜水艦は、ソ連崩壊後の港にそのまま係留されている状態も多く、日本が国際協力のもとでウラジオストック港に係留されている船体の廃炉を進めています。

原子炉災害は国際的にきわめて重大な事件で、ソ連原子力潜水艦の海難事故は多数報告されています。原子力潜水艦の事故、喪失などについては別の機会に紹介します。

 

原子力潜水艦ウラン燃料の濃縮度については、国によって大きく異なっています。原子力発電の低濃縮度3〜5%と比べればはるかに高い高濃縮度ウランですが、欧州の原子力潜水艦では濃縮度は20〜25%、ソ連では第1,2世代〔1945〜81年〕では20%、第3世代では40%、インドは40%の濃縮ウランを使っています。中国原子力潜水艦の濃縮度は不明です。米国の原子力潜水艦、航空母艦では93%、濃縮すれば核燃料単位あたりの出力は大きくなり炉の小型化が達成できます。もっともあまり濃縮度が高いと、原子爆弾に近くなり危険度が増し濃縮技術が高度になり経済性も悪くなります。

 

リッコーバーが開発主導した原潜炉は基本的には現在に至るまで使われ、ノーチラス号の加圧水型核反応炉STRマーク2は正式名称をS2Wと改名され原潜炉の原型となりました。Sは潜水艦、WはWH社の略で、1990年代までは改良型のS5Wが搭載されていましたが、船体の大型化に原子炉の方が対応できず、巡航速度が低下してしまいました。

 第6世代の原子炉は、WH社製に代わって数十年ぶりにGE社製S6Gとなって60隻以上の原子力潜水艦が製造されました。軍事産業の雄であるGE社が、民需産業になって消滅したWH社に取って代わり、記号がWからGに変わっています。さらにGE社製のS7G,S8G炉は21世紀に対応する最新の原子力潜水艦に使われていますが、型式はすべて加圧水型核反応炉です。

 

ノーチラス号の加圧水型軽水炉の主要構成部分について記します.

厚さ十数cmの鋼鉄製圧力容器には燃料棒を収納し、圧力容器の上下には減速材であると同時に冷却材でもある軽水(一次冷却水)の出入り口がもうけられています。軽水は電動ポンプによって圧力容器へ送り込まれ、燃料棒のまわりを流れて加熱され、出口から熱交換器を経て圧力容器へ戻る循環経路を流れます。炉の出力、すなわち、核分裂の量を制御するためには、中性子を吸収する能力をもつハフニウム(Hf、原子番号72、チタン系希少金属)製の制御棒の出し入れによっておこないます。炉心に差し込まれている制御棒を徐々に引き上げて、核分裂の連鎖反応がおこり、引き抜く制御棒を増やしていくと臨界に達し、炉心温度は上昇し熱エネルギーは冷却水(1次冷却水)にうつり、燃料と制御棒は適切な温度で安定します。圧力容器内圧力は150気圧、冷却水温度は300度程度になりますが、高圧のため水は沸騰することはありません。これが加圧水型(PWR)と呼ばれ沸騰水型(BWR)と大きく異なる点です。

燃料、圧力容器、制御棒などの金属部分がごく僅かながら一次冷却水に溶け出しあるいは欠落し、冷却水には放射能が混じるために、圧力容器と熱交換器/蒸気発生器などは放射線遮蔽壁で覆われています。熱交換器を通った1次冷却水は熱エネルギーを2次冷却水へ移し、2次冷却水は1次冷却水よりも低圧なので蒸気発生器内で沸騰し飽和蒸気になります。この過程は民生用ボイラーに相当し、高温高圧〔50〜60気圧〕蒸気は放射線遮蔽壁を貫いて、機械室の蒸気タービンに送られます。この後は一般の蒸気タービンと同じように作動します。タービンはスクリューを回すための主蒸気タービンだけでなく、原子炉附属機器と潜水艦内の電力を発生するためのタービンもあります。

タービンを通った後の水蒸気は復水器で冷やされて水に戻り、ポンプで熱交換器へ戻ります。

 

 

(3)原潜炉STRマーク1開発と世界初のシッピングポート原子力発電所

 

 リッコーヴァー大佐は米国における核動力開発を指揮する二つの機関である海軍と原子力委員会の最高責任者でした。いってみれば、当時のリッコーヴァーは、思うがままに原子炉開発を進めることができたといっても過言ではありません。

1950年にウェスティングハウス社はノーチラス号の動力として加圧水型軽水炉PWRの原型炉「STR」開発を受注しました。この地上試験用のSTRマーク1は、その前年の1949年に設立さればかりの国立原子炉試験場(NRTS)に設置されました。現在はアイダホ国立研究所(Idaho National Laboratory, INL)として、先進的な原子炉と燃料サイクルの研究開発実証などをおこなっていますが、もともとはSTR開発のための施設です。アイダホ州といえば米国北西部ロッキー山脈の内陸州で、敷地2300平方kmの広大な砂漠地帯です。大きな建屋に置かれた原子炉を納めた容器の大きさは直径9.4m、長さ40m、そのまま潜水艦に据え付けられるように設計されました。このSTRマーク1炉とほとんど同じサイズのマーク2は実際にノーチラス号に搭載されました。

図5に示すように、炉の中央部分は船が潜行中の状態を模擬して塩水中に納められています。

 

 

 

 

図5 STRマーク1炉  アイダホ国立研究所〔アイダホ州〕

 

 

また、潜行中の潜水艦は進行方向に60度以上、緊急浮上時には30度以上の姿勢変更を行うなど、過酷な動的環境にさらされます。

この試験のために、図6に示すように、水槽内で大きく揺動させる試験装置も設けられていました。

 

図6 アイダホ国立研究所〔アイダホ州〕内の揺動試験水槽

 

これらの荒っぽい試験もふくめて、ノーチラス号実証炉STRマーク1の製作開始は1950年8月、2年後の1952年冬には完成、1953年3月には臨界、6月にはフル稼働で96時間連続運転に耐えられたといいます。いくら冷戦時代とはいえ、3年で開発完了とは恐れ入る次第です。しかもすでにマーク1試験開始時は潜水艦搭載炉STRマーク2が生産に入っていたのです。

開発中の状況は分かりませんが、初めてのシステム、機械、制御装置で、放射線に対する知識が低く、安全思想のほとんどない時代ですから、放射線漏れや試験者の被曝がなかったとは到底思えません。

 前回ペーパーで紹介したように、当時開発していたミサイルの場合に照らし合わせても、軍事技術開発では、莫大な資金、人員などのリソースをかけ、最短時間でまとめ上げる訳ですから、技術は急速に進歩しますが、危険な試験だったと考えられます。原子力潜水艦の原子炉には原子炉を覆う格納容器がなく、潜水艦本体殻自体が格納容器の役もしていますから、攻撃を受けたり、衝突や潜行過剰によって殻自体が破壊されれば、当然一次冷却水は漏れるし、さらに圧力容器が破損すれば大規模汚染の発生が考えられます。原子力潜水艦では事故に至らなくとも、乗員に対する放射線被曝の可能性は地上原子力発電と比べればはるかに高かったと考えるの当然でしょう。

なお、米国の原子力潜水艦では大規模事故はなかったとされていますが、旧ソ連の原子力潜水艦では数多くの事故が知られています。

 

 ノーチラス号は1954年1月に進水、1年後の1955年1月には処女航海にでました。そしてこの年9月には、この原潜炉を元に世界初の平和利用目的の60MW出力のシッピングポート原子力発電所の建設が始まっています。

 1953年12月に国連で「Atoms for Peace」演説をしたアイゼンハワー大統領は、建設開始の鍬入れ式をリモート操作でおこないました。

 図7に示すように、場所はペンシルベニア州ピッツバーグ近郊の川辺で、建設総責任者は原潜炉生みの親リッコーヴァーです。1958年に操業開始、24年後には操業を停止し現在は廃炉となっています。

リッコーヴァーが同時期につくったシッピングポート原子力発電所も加圧水型軽水炉PWRですが、コンパクトな原子力潜水艦炉STRと違って、原子炉建屋、蒸気発生建屋、タービン建屋、その他の建屋など、構成は大がかりで、それぞれ独立に、きわめて厳重につくられていました。

この差は、多少の被曝も許容するコンパクトな戦闘用原潜炉と、近隣社会への放射線被曝を怖れる商用原発炉の差でしょう。

 

 

図7  シッピングポート原子力発電所(ペンシルベニア州)

 

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